Basil Kirchin

我が家のネット開通は1999年か2000年頃だっただろうか。その直後から検索を始めたワードの一つに  'Basil Kirchin'  が、あった。Basil Kirchinは1927年生まれ、英国はブラックプール出身の、当初はジャズドラマーとして活動した音楽家だった。今でこそウィキペディアにも項目があるが、英国に於いても、永らく忘れ去られた音楽家であった。

Basil Kirchin - Wikipedia

 

私は1978年頃、下北沢にあったエジソンというレコードショップで、Basil Kirchinの 'Worlds Within Worlds' と題されたLPレコードを購入したと記憶している。当時の私は、このレコードにイーノが解説を寄せている事で興味を持ったのかも知れない。そして、その解説の邦訳は、プログレッシブ・ロックのレコード評などを掲載し、阿木譲が当時出版していた小雑誌で見かけたと思う。もう随分昔の事なので、このあたりの記憶は曖昧だが、それ以降は何の情報も得る事は無く、永い間私の中で最大の謎の音楽家の一人としてあり続けた。

 

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このレコードが、実験音楽やフリージャズなどを聴くリスナーの間で、その存在を21世紀の今でも囁かれているのは、何と言ってもそのデモーニッシュな内容と、エヴァン・パーカーデレク・ベイリーがフィーチャーされているらしい、という事があるだろう。「らしい」というのは、彼らの演奏が、全面を覆うヒスノイズに埋もれてしまっているからであり、二人の著名インプロバイザーのクレジットすら無い事もある。そう、この作品はBasil Kirchinが制作した異様なテープ音楽なのだ。彼らの演奏が、一部であるにせよフィーチャーされている事を私に確信させたのは、'morgue' という雑誌に載っていたエヴァン・パーカーディスコグラフィー上で、 'Worlds' と同名の1971年作の存在を、のちに知ってからである。

 

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それは、英国コロムビアEMIからリリースされたものだが、大手レーベルゆえの輸出規制によって、日本に於いては非常に入手困難であった。この作品では、パーカーやベイリーの、当時から確立された演奏スタイルである事を確認出来る彼らの明瞭な演奏が聴ける。Daryl Runswick、Clair Deniz、Frank Ricottiといったブリティッシュジャズロック界のセッション・プレイヤー達のクレジットもある。Brian Deeは、ベイリーの自伝本にも登場するピアニストの事だろう。Basil Kirchinが、オールドタイムのブリティッシュジャズにルーツを持つ音楽家である事が推測出来る。余談ではあるが、私は、このレコードのCDRコピーを、米国西海岸のカルト・グループ The Decayesのメンバーであった故Ron Kane氏から譲り戴いている。

 

話を21世紀に戻す。

Basil Kirchinを検索していて、私はJonny Trunkという人物に辿り着いた。Basil Kirchinの 'Quantum' という作品のリリースを2003年に敢行して、それ以降のBasil Kirchin再評価の気運を作り出した人だ。彼はTrunk Recordsというレコードレーベルを運営していて、現在も数多くの作品をリリースしている。このレーベルは、若干のモンド系の色合いがある所なのだが、Mike GarrickやMike Taylorのような、古いブリティッシュジャズのレア音源など、玄人好みのリリースがある点は評価が出来る。Basil Kirchinに、テープ音楽の制作において技術的な助言をしていたという電子音楽家、Tristram Cary(1925-2008)のリリースもある。

とにかく、'Quantum'がリリースされる前年頃に、私はJonny Trunkとメールで連絡を取り、Basil Kirchinについて問い合わせていた。彼は日本からの問い合わせに非常に驚いている様子ではあった。未発表作の触れ込みであったはずの 'Quantum' は、実際には1971年と1974年の両方の 'Worlds' を追加編集した箇所が混在している作品である事が、私のもとに届けられたCDを聴いて確認出来た。

 

一方で私は同時期に、Ron Simmonds というトランペット奏者とコンタクトを持った。

Ron Simmonds | Discography & Songs | Discogs

当時、jazzprofessional.com を運営していた人で、そのサイトではジャズ奏者のデータベースを構築していて、私はそこにBasil Kirchinの項目を見つけて、彼に連絡を取ったのだった。彼は私からの連絡に、やはり非常に驚いた様子で、Basil Kirchinの事をいろいろと教えてくれた。Ron Simmonds氏が古い友人である事、Basilがメールアドレスも持たず、英国北東部のハルという町で長い闘病生活を送っている事が知らされた。それは、丁度ワールドカップ日韓開催の頃だったと記憶する。

Basil Kirchinは、2005年6月に亡くなったが、Ron Simmondsも後を追うように、その年の10月に亡くなっている。

 

エヴァン・パーカーが、2016年に私の住む街にやって来た時に、私はすかさずエヴァンに質問をしてみた。「Basil Kirchinについて教えてください」と。エヴァンの返事は、こうだった。

「Basilはとても神経質な人で、沢山のテープをいつも持っていた。彼が妻と共に、彼女の母国であるスイスに旅立って(おそらく1975年)以来、私は彼とは会っていない」

エヴァンの発音を聞いた限りでは、私には「バジル・カーチン」と聞こえた。