Gunther Wüsthoff

ジャーマンロックの著名グループ、ファウストのオリジナル・メンバーだった、当時はサックスやARP2500シンセサイザーの演奏を担当していたが再結成後のファウストには合流せず、その後の音楽活動の形跡も無く一人沈黙を通していたGunther Wüsthoffが、この7月にソロ・アルバムをひっそりとリリースしていた模様だ。 Faust IVが1973年のリリース(チューブラー・ベルズと並ぶ、ヴァージン・レコード初回バッチの一つ! )であるから、実に47年ぶりの登場とは、驚くほか無い。数年前に、ご本人のものらしきサイトhttp://guntherwüsthoff.de は確認出来ていたので、何らかの活動はされていたのかも知れないが、詳細は判らなかった。70年代当時の、ロックミュージック様相のファウストの演奏に、電子音楽の技術や編集を絡めるという実務を担当していたのは、案外この人のものだったような気もする。

Martin Almstedt

Martin-Aike Almstedt - Start

1944年生まれのオルガニスト、ピアニストにして、1970年頃にはダルムシュタットにてシュトックハウゼンリゲティ、「現代音楽の記譜法」の著書があるカルコシュカにも師事した事のあるドイツの作曲家。同国のHans-Joachim HesposやVolker Heynのように、独立系の作曲家だと言える。ドイツ語の文面からは詳細は解らないが独特の作曲理論や哲学を持っているようで、自主制作CDも20枚以上あるが、広く流通させる事もなく、日本からの入手は困難のようだ。70年代の後半にリリースされたLPレコード、Frühleben が一部で知られている程度だが、上記リンクのサイトからFrühlebenの説明文を発見したので、以下に訳出してみた。

- 1970年代に、マーティン・エイク・アルムシュテットは、進化の観点から、人間がどこからどこへ行くのかという問いに対処しました。 「Frühleben」は1977年に彼が書いた作曲作品で、この議論を音楽的に反映しています。 作品は先史時代の人々の記憶に捧げられています -

ご本人のアカウントと思われる動画も確認出来た。大変興味深い。

 

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RIP David Panton

英国バーミンガム在住のサックス奏者David Panton氏が、今年5月頃亡くなっていたようだ。生年は正確には知らないが、1960年代初頭より音楽活動を始め、当初からジャズ及び即興音楽シーンに関わっていた事から、70歳代後半ぐらいになっていたと思われる。そしてたぶん、再発などで昨今話題のレンデル&カーのような60年代ブリティッシュジャズを最も体現していた世代の人だったのだろう。
何より知られていたのは、彼自身の自主レーベルNondoから70年代中頃にリリースされていた、デレク・ベイリーやスポンティニアスミュージック・アンサンブルとのスプリットLP群だろう。実際にお会いした事は勿論ないが、私はSNSを通して彼が健在である事を数年前に知り、以降はメールなどでメッセージを交換していた。Nondoレーベルは、彼とフレッド・ミドルトンという作家/詩人が共同で運営されていたようで、私は前述のデレクの参加しているLPを、この人から譲り受けている。写真は、週刊誌らしきものを切り貼りしてコラージュされた、そのレコードカバー。

英国の地方に存在していたファースト・ジェネレーションとも言える人物が今年、ひっそりとこの世を去った。

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1978年12月

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当時、間章の訃報を知ったのは、北陸中日新聞の朝刊紙面からだったと思う。随分長い間、その切り抜きを持っていたが、数度の引越しの際に紛失してしまった。この音楽評論家の存在を初めて知ったのは1975年頃、日本コロムビアから発売されていたマイク・オールドフィールドの「ハージェスト・リッジ - 夢と幻の地平線」の初版ライナーノーツに於いてだった。「間章」が人の名前である事を認識したのは、それから少し遅れてだったが。数年後の私は、「間章」に感化され、初来日のデレク・ベイリーを京都まで見に行っている。学業をサボって数日抜け出していたので、帰宅後は家族に酷く叱られていたのを思い出す。写真は、当時私も編集に関わっていたミニコミ誌 AVANT-GARDE の1979年1月号の表紙と、同7ページ、「間章氏の死を悼む」という記事からの転載。

Basil Kirchin

我が家のネット開通は1999年か2000年頃だっただろうか。その直後から検索を始めたワードの一つに  'Basil Kirchin'  が、あった。Basil Kirchinは1927年生まれ、英国はブラックプール出身の、当初はジャズドラマーとして活動した音楽家だった。今でこそウィキペディアにも項目があるが、英国に於いても、永らく忘れ去られた音楽家であった。

Basil Kirchin - Wikipedia

 

私は1978年頃、下北沢にあったエジソンというレコードショップで、Basil Kirchinの 'Worlds Within Worlds' と題されたLPレコードを購入したと記憶している。当時の私は、このレコードにイーノが解説を寄せている事で興味を持ったのかも知れない。そして、その解説の邦訳は、プログレッシブ・ロックのレコード評などを掲載し、阿木譲が当時出版していた小雑誌で見かけたと思う。もう随分昔の事なので、このあたりの記憶は曖昧だが、それ以降は何の情報も得る事は無く、永い間私の中で最大の謎の音楽家の一人としてあり続けた。

 

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このレコードが、実験音楽やフリージャズなどを聴くリスナーの間で、その存在を21世紀の今でも囁かれているのは、何と言ってもそのデモーニッシュな内容と、エヴァン・パーカーデレク・ベイリーがフィーチャーされているらしい、という事があるだろう。「らしい」というのは、彼らの演奏が、全面を覆うヒスノイズに埋もれてしまっているからであり、二人の著名インプロバイザーのクレジットすら無い事もある。そう、この作品はBasil Kirchinが制作した異様なテープ音楽なのだ。彼らの演奏が、一部であるにせよフィーチャーされている事を私に確信させたのは、'morgue' という雑誌に載っていたエヴァン・パーカーディスコグラフィー上で、 'Worlds' と同名の1971年作の存在を、のちに知ってからである。

 

www.youtube.com

それは、英国コロムビアEMIからリリースされたものだが、大手レーベルゆえの輸出規制によって、日本に於いては非常に入手困難であった。この作品では、パーカーやベイリーの、当時から確立された演奏スタイルである事を確認出来る彼らの明瞭な演奏が聴ける。Daryl Runswick、Clair Deniz、Frank Ricottiといったブリティッシュジャズロック界のセッション・プレイヤー達のクレジットもある。Brian Deeは、ベイリーの自伝本にも登場するピアニストの事だろう。Basil Kirchinが、オールドタイムのブリティッシュジャズにルーツを持つ音楽家である事が推測出来る。余談ではあるが、私は、このレコードのCDRコピーを、米国西海岸のカルト・グループ The Decayesのメンバーであった故Ron Kane氏から譲り戴いている。

 

話を21世紀に戻す。

Basil Kirchinを検索していて、私はJonny Trunkという人物に辿り着いた。Basil Kirchinの 'Quantum' という作品のリリースを2003年に敢行して、それ以降のBasil Kirchin再評価の気運を作り出した人だ。彼はTrunk Recordsというレコードレーベルを運営していて、現在も数多くの作品をリリースしている。このレーベルは、若干のモンド系の色合いがある所なのだが、Mike GarrickやMike Taylorのような、古いブリティッシュジャズのレア音源など、玄人好みのリリースがある点は評価が出来る。Basil Kirchinに、テープ音楽の制作において技術的な助言をしていたという電子音楽家、Tristram Cary(1925-2008)のリリースもある。

とにかく、'Quantum'がリリースされる前年頃に、私はJonny Trunkとメールで連絡を取り、Basil Kirchinについて問い合わせていた。彼は日本からの問い合わせに非常に驚いている様子ではあった。未発表作の触れ込みであったはずの 'Quantum' は、実際には1971年と1974年の両方の 'Worlds' を追加編集した箇所が混在している作品である事が、私のもとに届けられたCDを聴いて確認出来た。

 

一方で私は同時期に、Ron Simmonds というトランペット奏者とコンタクトを持った。

Ron Simmonds | Discography & Songs | Discogs

当時、jazzprofessional.com を運営していた人で、そのサイトではジャズ奏者のデータベースを構築していて、私はそこにBasil Kirchinの項目を見つけて、彼に連絡を取ったのだった。彼は私からの連絡に、やはり非常に驚いた様子で、Basil Kirchinの事をいろいろと教えてくれた。Ron Simmonds氏が古い友人である事、Basilがメールアドレスも持たず、英国北東部のハルという町で長い闘病生活を送っている事が知らされた。それは、丁度ワールドカップ日韓開催の頃だったと記憶する。

Basil Kirchinは、2005年6月に亡くなったが、Ron Simmondsも後を追うように、その年の10月に亡くなっている。

 

エヴァン・パーカーが、2016年に私の住む街にやって来た時に、私はすかさずエヴァンに質問をしてみた。「Basil Kirchinについて教えてください」と。エヴァンの返事は、こうだった。

「Basilはとても神経質な人で、沢山のテープをいつも持っていた。彼が妻と共に、彼女の母国であるスイスに旅立って(おそらく1975年)以来、私は彼とは会っていない」

エヴァンの発音を聞いた限りでは、私には「バジル・カーチン」と聞こえた。

 

 

 

 


Reese Williams

おそらく1980年代の初期か中頃、池袋西武の12階にあった美術書専門のショップ、アールヴィヴァンに併設されていたレコードショップで、この謎のアーティスト -  Reese Williams の'Sonance Project' と題されたLPレコードを購入したと記憶している。

www.discogs.com

それは、極短い人声の録音のループを、両面に渡ってランダムに繋いでいく、謂わば「テープ音楽」と言えるものが収められているレコードだった。米国のアーティストである事、このレコードがロサンゼルスの無名レーベルから配給されている事以外は、その後の永い間、このアーティストの情報を得る事はなかった。

 

インターネットが恒常化されて久しい2010年代に入り、突如情報がもたらされた。Reese WilliamsはNY近郊に移り、Bandcamp上にて、電子音楽の創作という形で活動を継続している事が判明した。そこでは、あの'Sonance Project'も再び聴く事が出来る。

reesewilliams.bandcamp.com

他の音源も聴く事が出来るが、最近の電子音楽創作のためのソフトウェアを駆使して制作されたと思われる、秀逸な電子音楽の近作が並んでいる事に驚かされた。

 

そして2018年。シカゴのレーベルより、2013年の作品が、それぞれ限定のCDRとカセットという形で正式に再発リリースされていて、そこのサイトでは、この作家の経歴も見る事が出来る。それによると、彼は1970年代初頭の西海岸の実験音楽シーンから活動していたようである。おそらく、テープループを使うという手法からも、当時のカール・ストーンイングラム・マーシャルといった人々との関連性もあったのだろう。

Reese Williams – Moon’s Bright Path | LOVE ALL DAY

 

以下のサイトでも、この作品を聴く事が出来る。30分にも渡る微細な音粒が幾重にも重なった、ドローン状の電子音楽である。

soundcloud.com

 

数十年に渡って活動を継続していたReese Williamsという人物。興味は尽きないところだ。

Sinan Savaskan

Sinan Savaskan - シナン・サバスカン、1954年生まれ、トルコ系と思われるロンドン在住の現代音楽作曲家。1975年に創設された実験音楽や即興音楽の互助組織、The London Musicians Collective の創設メンバーだったとの記述も見かけた。そういえばこの人の名前は、1980年にLMCがリリースしていたLP 'May Day'

May Day (Vinyl, LP) | Discogs

にクレジットがあるのに気付いた。

Youtubeにも音源が上がっている。

www.youtube.com

この動画の投稿者 - Mike Williams参加の録音も'May Day'に収録されていて、この方の現在は、ヴァイオリニストとして活動されている模様。

 

近年の音源も確認できた。

soundcloud.com

私見だが、ジャチント・シェルシの音楽との近似性も感じさせる。

 

ロンドンの即興シーンとの関連性を見せていた作曲家の中にはRichard Barrett (b.1959)などもいるが、この人は知らなかった。